雑記帳

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痴漢vs安全ピン

第1 序文

 ここ数日(記述しているのは2019/05/24)、Twitterを中心に「対痴漢の防衛策として安全ピンをぶっ刺す」ことの是非が盛り上がっているようである。

正直、筆者が上京するかなり前から聞いたことのあるネタなのに、なぜこのタイミングで盛り上がっているのか意味不明であったが、どうやらマンガつきのツイートが発端であり、最近の「ツイフェミ」の盛り上がりと相まって燃え上がったようだ。

抜粋ではあるが、その様子は以下の通りである。

 1.肯定派

 

 

 

 

 

2.否定派 

他方で、これに反対する立場の意見は以下の通りである。

 

 

 

 

3.議論のまとめ  

上記の議論を軽く追ってみると、

・肯定派

①安全ピンで刺されるのは痴漢だけなのであって、痴漢をすることのない一般男性には全く無関係であり、そのような男性からの批判はあたらない

②安全ピンで刺したところで生じるケガの程度は軽微であって、自己防衛手段として相当である

③声を上げたところで蔑視される以上、痴漢に対する私的制裁として安全ピンは相当である

④①を前提として、反対するのは痴漢か痴漢予備軍、痴漢肯定者に違いなく、そのような者の批判に耳を傾ける必要はない

 

・否定派

①日本は法治国家であり、原則として私的制裁は禁じられている。安全ピンを使用し加害者へケガを負わせることは私的制裁にほかならない。

②①の例外としての正当防衛としても疑問が残る。過剰防衛の問題も生じる。

③満員電車を考慮すると、冤罪の危険を拭えない。加害者以外への被害が生じる可能性もある。

④痴漢被害者として取りうる他の代替手段が存在する。安易に勧めるべきではない。

 

ということになろうか。

本稿では、このような議論を受けて、正当防衛についての問題を取り扱う。

正当防衛は刑法上の重要論点であり、裁判例も多数存在する。法律に詳しくない人々にも馴染み深い用語であると思われるが、果たして現実にはどのように作用するのか、検討を行いたい。

 

第2.正当防衛の成立要件

正当防衛は刑法36条1項に規定されている。

急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない。

これを要素に分解してみてみると、

①「急迫」

②「不正の侵害」

③自己または他人の権利を「防衛するため」

④「やむを得ずにした」

となる。

それぞれの意味を確認しよう。

 

①「急迫」とは、法益の侵害が現に存在しているか、または間近に差し迫っていることをいうと解釈されている。「急迫性」の要件とも呼ばれる。

 「法益」は、法律によって保護される利益をいうが、人の生命、身体、住居、財産等の憲法に明記された権利にとどまらず、比較的広く権利や利益が含まれるだろう。痴漢との関係に限っていえば、「性的自由」も法益に当たる、つまり、「意思に反して性的行為(=痴漢)をされない権利」は正当防衛の対象となる法益だということに争いはない。

 「現に存在または間近に差し迫っている」とは、法益侵害行為との時間的場所的な近さが近いことをいう。

 

②「不正の侵害」とは、法益に対する実害を生じさせるおそれのある違法な行為をいう。

(正当防衛が刑法にあえて規定されているのは、警察などの国家機関による救済を待っていたのでは法益が侵害されてしまう緊急事態において例外的に正当防衛という自力救済手段を認めておくことで、その法益侵害行為によって害される法益を守るためである。そうすると、正当防衛を成立させるべきは、「違法な行為」に対してのみで十分だということになる。*1

 

③「防衛するため」とは、急迫不正の侵害が加えられるということを認識しつつ、それを回避しようとする心理状態をいう。

「防衛の意思」とも呼ばれるが、厳密に確固たる具体性を有した「意思」である必要はない。もっと素朴な心理状態でよいとされている。

 

④「やむを得ずにした」とは、反撃行為が自己または他人の権利を防衛する手段として必要最小限度のものであることをいう。「手段の相当性」ともいう。

防衛者(被害者)がとった反撃行為が必ずしも唯一の手段であったことまでは要しないし、反撃によって攻撃者(加害者)に生じた法益侵害結果と攻撃者によって侵害されそうになった法益が完璧に釣り合いが取れてなければならないわけではない。

判例は当事者の性別、年齢、身体的特徴、武道・運動経験、武器の有無・種類、どのような状況下でなされたどのような行為だったかを非常に詳しく認定し、比べて成否を決定する方法をとっている。

 

そして、この④の必要最小限度のものという基準を超えた反撃行為に及んでしまった場合には、過剰防衛(刑法36条2項)の問題となり、成立が認められればその情状によって刑が任意的に減免される。つまり、犯罪は成立するが、防衛行為として行ったことが認められれば科される刑を軽くしたり、免除したりしてもらえることになる。

 

第3.痴漢vs安全ピン

1.痴漢行為の該当犯罪

 まず、痴漢が犯罪行為であることはいうまでもないことではあるが、どのような罪名の犯罪が成立するかを簡単に述べておく。

 

(1)各都道府県の迷惑防止条例違反(例:東京都 5条1項)

「何人も、正当な理由なく、人を著しく羞恥させ、又は人に不安を覚えさせるような行為であつて、次に掲げるものをしてはならない。」

 「公共の場所又は公共の乗物において、衣服その他の身に着ける物の上から又は直接に人の身体に触れること。」

これは読んだままなので説明するまでもないですね。

 

 

(2)強制わいせつ罪(刑法177条)

「13歳以上の者に対し、暴行又は脅迫を用いてわいせつな行為をした者は、6月以上10年以下の懲役に処する。13歳未満の者に対し、わいせつな行為をした者も、同様とする。」

ここにいう「暴行または脅迫」とは「相手方の犯行を著しく困難にする言動」をいうとされる。もっとも、わいせつ行為それ自体がこの「暴行または脅迫」にあたることは大いにありえるし、実務での運用もそうなっているようだ。特に痴漢事案では両行為は連続一体となっているから、その切り分けは実際上困難だろう。

 

両罪の区分は痴漢の行為態様によって決まる。

簡単に言えば、より悪質と評価できる態様で痴漢をしていた場合には強制わいせつ罪となり、比較的軽度なら条例違反ということになろう。その切り分けの基準は上記の「暴行または脅迫」要件が大きく影響するだろう。

 

2.いざ、尋常に勝負

 それでは、痴漢行為に対する安全ピンのぶっ刺し行為に正当防衛が成立するか検討したい。

(1)はじめにバトルフィールド…もとい設例を立てよう。

 通勤通学で混み合う朝の時間帯の満員電車内で、痴漢、痴漢被害者ともに成人とする。痴漢は男性、痴漢被害者は女性に多いと思われるので*2、そのように設定する。以下、痴漢被害者は「安ピン女」という。両者の年齢体格だが、いずれも20代中盤として、総務省「国民健康・栄養調査」より男女の平均的体格とする。両者とも公平に武道の経験はないものとする。

 

 上記の条件と行為態様をまとめて以下のようにしよう。

 痴漢(25歳・男・170.4cm 66.5kg)は,令和元年5月24日午前7時56分ころから同日午前8時10分ころまでの間,東京都三鷹市内のJR東日本株式会社三鷹駅から高円寺駅に至るまでの間を走行中の電車内において,乗客である安ピン女(25歳・女・158.7cm 51.8kg)に対し,下着の中に左手を差し入れその陰部を手指でもてあそぶなどし,もって強いてわいせつな行為をした。

 これに対し、安ピン女は、同日午前8時10分ころ、同電車内において、スカートの上から自身の臀部に執拗に触れる手指に対して、右手で持った安全ピン(針の長さ約2.5cm)を突き刺し、全治5日の加療を要する傷害を負わせた。

 同日午前8時13分ころ、中野駅到着時、電車内において、安ピン女が痴漢を指差し「この人痴漢です」と声を上げたところ、周囲の乗客によって現行犯逮捕された。繊維鑑定を含む微物検査の結果、痴漢の左手指には安ピン女の衣服の繊維が存在することが確認された。また、左手の甲には針の刺さったような傷があり、これは安ピン女の安全ピンによるものと確認された。なお、安ピン女には身体への傷害はなかった。

 

(2)検討

 安ピン女が安全ピンをぶっ刺す行為に出たとき、スカートの上から執拗に臀部に触れられていたのであるから、安ピン女の性的自由という法益に対する痴漢行為(少なくとも条例違反行為)という不正の侵害が、現に存在していたということができる。つまり、①②の要件を満たす。問題は③と④、「防衛の意思」と「手段の相当性」である。

 

 ③「防衛の意思」について、例えば安ピン女がこれ以上の痴漢行為をされないためにぶっ刺し行為に及んだ場合、「防衛の意思」が認められることに問題はなかろう。

しかし、例えば安ピン女は常日頃痴漢というものに恨みをもっており、痴漢された場合には、その状況を利用して恨みを晴らすべく安全ピンを使って積極的に攻撃する意思を持っていたと仮定するとどうだろうか?果たして「防衛の意思」ということはできるだろうか?

 この点について、判例は「防衛の意思」を欠き、正当防衛が否定される場合があるという。

「防衛に名を借りて侵害者に対し積極的に攻撃を加える行為は、防衛の意思を欠く結果、正当防衛とは認められない」

「が、防衛の意思と攻撃の意思が併存している場合の行為は、防衛の意思を欠くものではない。」最判S50.11.28刑集29.10.983)

つまり、相手方の侵害行為の機会に乗じた積極的な加害行為でしかないと評価される場合には、「防衛の意思」の存在を否定し正当防衛の成立を認めないが、防衛の意思と攻撃の意思が併存する場合には、「防衛の意思」を欠くとはいえないため、正当防衛が成立する余地が残るとした。

これは、積極的加害意思はもはや「防衛のための緊急の心理状態」とはいえないということだろう。ただし、加害行為に対して怒りを覚え、反撃するという心理状態もまた自然なものであるから、両者が併存している場合には「防衛の意思」が直ちに否定されはしないとしたのである。

 本件では、通常一般人であれば積極的加害意思のみを持ってぶっ刺し行為に出るとは思われないことから「防衛の意思」が認められることになろうが、仮に、日常の言動や事前準備、当日の状況などから積極的加害意思が認められる極めて限定的・仮定的な場合には、「防衛の意思」が認められず、正当防衛が否定され、結果として、傷害罪が成立することになる。

 

 ④「手段の相当性」についての検討に移ろう。安ピン女と痴漢の体格差は身長約12cm、体重約15kgに及び、痴漢の方が体格的に優れており、背後に密着して立たれれば相当の圧迫感や恐怖感を覚えることは想像に難くない。さらに、ぶっ刺し行為に出る直前まで行われていた痴漢行為は下着の中にまで手を差し入れるという、かなり強度の態様の行為である。安ピン女の感じた羞恥心や屈辱は想像を絶するものということができよう。そして、引き続いて臀部に触れてきたことから、これ以上の痴漢をやめさせるには実力行使に出るしかなく、また、その程度も体格差や満員電車で密着し身動きが取れない状況では、体をよじったり手で払ったとしても痴漢行為をやめさせられないおそれがあるため、比較的強度の実力でなければならないと思い至るについてもわからないではない状況にある。

 では、痴漢は素手であるのに対して安全ピンという「武器」を用いたとしても「やむを得ずにした」行為だといえるだろうか?これは「武器対等の原則」と呼ばれ、素手には素手、武器には武器のように、同等までの武器で臨むのが相当だろうという一応の判断基準である。もっとも、これは絶対の評価基準ではなく考慮要素のひとつであって、体格差や侵害の状況、他に取りうる手段がなかったか、などを総合的に判断することになる。
 引き続き本件について検討しよう。安ピン女は武器である安全ピンを用いているが、安全ピンは通常の方法では人を死に至らせるほどの傷害を与えることはできないであろう、強いとはいえない程度の武器である。そうすると、安全ピンの使用も必要最小限度性が認められるとも思える。

 もっとも、犯行現場は朝の満員電車内である。声を上げるなどして周囲の乗客に助けを求めることは、痴漢をやめさせるには不十分、不適当な行為だろうか?これによれば、痴漢の身体を傷害する必要はなかったのではなかろうか?
 確かに、痴漢被害者の心情として声を上げづらいのは理解できる。羞恥心だけでなく、朝のラッシュ時に被害を告発することで、痴漢の態度によっては電車の遅延を招きかねず、周囲の乗客の不興を買うかもしれないというおそれもあるかもしれない。

 しかし、本件の安ピン女は最終的に中野駅到着直前に「痴漢です」と声を上げ告発しており、安全ピンをぶっ刺すことなく痴漢を告発し、痴漢行為から逃れることが可能だったことが、逆説的に認められるのではなかろうか。

 もっとも、痴漢に生じた法益侵害の結果は加療5日の針刺し傷という軽微なものなのに対し、女性の人権を重視する今日の社会通念や、心理的に負うであろう傷の大きさからしても、安ピン女が侵害された性的自由権や名誉の価値は大きいものといえるだろう。

 

 以上を総合すると…「手段の相当性」が認められるかは、かなり微妙である。仮に、安ピン女が自ら告発していない場合には、それだけ声も上げられないほど心理的に圧迫されていたとして、手段の相当性が認められる方向に傾きそうである。他方、攻撃の意思と防衛の意思が併存していると認められた場合には、あえて他に取りうる手段である告発をしなかったとして、手段の相当性が否定される方向に傾きそうである。

それだけこのケースは微妙なのだ。いずれとも結論を出し難い。

 とはいえ、仮に手段の相当性が否定されても過剰防衛の成立が認められ、情状も悪くないため減免が認められることになろう。

 

第4.まとめ

 なんとも歯切れの悪い結果となってしまった。自分で設例を立てておいて、結論を出し難いなどとは…。しかし、法律の問題が生じる場面というのはえてしてそういうものなのだ。シロかクロか、0か100かでは割り切れないことがよくあるし、ごく些細な事情が結論を分けることになることもままある。今回は、まさにそのような事情なのだ。

 

 今回の検討から読者に伝えたいことは、痴漢には安全ピンなど用いる必要はなく、勇気を出して声を上げてほしいということだ。声を上げるのは何も被害者に限った話ではなく、周囲の目撃者も含めてのことである。冒頭にも書いたが痴漢をする者が最も悪く、根本の原因であることに疑いはないし、直ちに根絶することは難しいだろう。だが、少しずつなら変えていくことができるに違いない。女性の人権の尊重を当たり前の価値観として教育を受けてきた世代が、当たり前にその価値観を発現させれば、女性の人権の尊重の実現の一場面として働くことになるだろう。痴漢の現場を目撃した人もまた、是非とも声を上げて被害者を救って欲しい。

 

 そして、法律の議論としてこのような問題点があることを知った上で炎上を眺めてみてもらいたい。Twitterの炎上は前提となる知識の種類や有無で、見え方が全く違ってくる。 安易に一方に与するのではなく、その炎上はどこに摩擦が生じて起きているのかを見極めた上で自分の意見を持ってほしい。

 

以上

*1:正当防衛の正当化根拠のひとつ、法確証の原理と呼ばれるものの一部である。難しいので読み飛ばしてもらって構わない。)

*2:一般論として