雑記帳

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新型コロナウィルス(COVID-19)対応から考える ※2月27日16:40更新

中国は武漢の医師らによる告発から始まった新型コロナウィルスフィーバーから、早くも1ヶ月になろうとしている。パニックは収まるどころか日に日に混沌の様相を呈している。

私は現在縁あってとある医療機関に勤務しているため、否応なく対応に迫られている訳であり、あれやこれやと考えずにはいられないのだが、どう考えても世間は変な方向に騒ぎすぎな印象を受けている。

ということで、行政法の勉強の一環として少し考えたことを書いてみる。

 
1.感染者、疑似症患者の強制入院や隔離についての言説

 日本政府は、中国政府が武漢市を含む湖北省からの移動を制限する措置を講じたことを受けて、湖北省に在留している日本人を帰国させるためチャーター機を手配し、これまで計5便を受け入れている。

 このチャーター機での帰国時に話題となったのは、帰国者を全員隔離しないのか、という言説である。第1便の帰国者のうち2名が検査やホテルへの任意宿泊を拒否し、帰宅したというニュースが大きな話題となった。なお、その後その2名も検査等を希望したようである。


 ここで疑問が生まれる。そもそも全員隔離や強制入院などの措置は可能なのであろうか?ネットやTVのワイドショーではあたかも当然できるかのような言説が飛び交っていたが、ここ日本は腐っても法治国家基本的人権の尊重を基本理念に据えた憲法を有する国である。法律にないことはできない。ということで、法律を探してみることにしよう。

 

2.感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律

 日本における対感染症の法律は上記の法律、通称「感染症法」が基本となる。

感染症法によれば、特に対策を講ずる必要性の高い感染症をその性質から分類し、その予防や感染の拡大の阻止のため、行政が患者や疑似症患者に対してとり得る措置が規定されている。今回は「強制隔離」のような措置がとれるのかにスポットをあてることにする。

 
感染症の規定を読むと、関係ありそうな箇所は以下の通りである。

 
①指定感染症の定義、政令による指定(法6条8項)

②指定感染症への感染症法の規定の準用(法7条1項)

③疑似症患者と無症状病原体保有者への適用(法8条)

④入院(法19条、20条)

 


それぞれ内容を簡単にみていこう。

①は今回の新型コロナウィルスも指定された、感染症法に定める「指定感染症」とはなんなのか、それはどのように定めるのかが定められている。

“この法律において「指定感染症」とは、既に知られている感染性の疾病であって、第三章から第七章までの規定の全部又は一部を準用しなければ、当該疾病のまん延により国民の生命及び健康に重大な影響を与えるおそれがあるものとして政令で定めるものをいう。”(カッコ書き省略)


簡単にいえば、この法律では感染症を第1類から5類まで分類して対応を定めているのだけれども、この分類に当てはまらないもののうち、特に緊急に対策が必要になった感染症は、政令で定めることで感染症法の適用とすることができる、ということ。

 
②は、指定感染症感染症法の規定の適用を受けるよ、ということ。


③は、疑似症患者と無症状病原体保有者についての規定。

どちらも聞き慣れない言葉だが、以下の通り定義されている。

“この法律において「疑似症患者」とは、感染症の疑似症を呈している者をいう。”

つまりは、症状的にはその感染症らしいが、まだ確定診断できていない人のこと。

 
“この法律において「無症状病原体保有者」とは、感染症の病原体を保有している者であって当該感染症の症状を呈していないものをいう。”

つまりは、検査結果によれば感染しているようだが、身体に症状が出ていない人のこと。

 
④は今回のキモ、入院に関する規定である。

19条は1から4項までが主な部分でしょう。かみ砕くと以下の通り。

1項と2項は、行政が患者に対して入院を「勧告」することができることを定めている。この勧告に当たっては十分な説明を行うことが義務付けられている。

3項と4項は、行政が患者を強制的に入院させることができることを定めている。入院期間は原則として最大3日間。

20条は19条3項でなされた強制入院の期間を延長することができることを定めている。

延長は10日以内の期間を定めて、最大でも10日単位で延長するか否かを判断するものとされている。

 


3.今回のケースでの検討

ようやく今回の事態に関連する感染症法の規定の解説が終わりましたね。ここまで読まれた皆さんもおつかれさまでした。

それでは本題。果たして日本国政府チャーター機での帰国者を強制的に隔離することは可能だったのだろうか?検証してみましょう。

 


まず武漢市が封鎖されたのが2019年1月23日。

その後、同28日、安倍総理大臣が新型コロナウィルスを指定感染症に指定する方針を決めると国会で答弁し、その日のうちに政令を公布。

政令は「新型コロナウイルスを指定感染症として定める等の政令」という名称となった。

この政令の施行日は2月7日と定められた。つまり、この政令の効力は2月7日から発動する。

ー2月27日追記ー

その後、1月31日に開催された新型コロナウイルス感染症対策本部(第3回)において、政令の施行日が2月1日に前倒しされることが安倍首相から発表され、翌2月1日に持ち回り閣議によって施行された。

したがって、2月1日午前0時から政令は効力が生じ、新型コロナウィルスは感染症法の指定感染症に分類された。

 

以上の通り、施行日についての事実関係が異なっていたが、下記の内容については影響がないためそのままにさせていただく。


話を時系列に戻そう。

1月29日、武漢からのチャーター機第1便が到着。ほとんどの帰国者が政府の用意した宿泊施設に任意で宿泊するも、2名が検査を受けず帰宅したことが報じられる。

同30日、第2便が到着。

同31日、第3便が到着。

2月7日、第4便が到着。

同17日、第5便が到着。

 


ここまで読んでいただければ、勘のいい読者の方々はおわかりいただけるだろう。

強制的な隔離、すなわち、感染症法に基づく強制入院は、2月7日に到着した第4便以降の帰国者に対してしかすることができない。


既述の通り、「指定感染症」への分類は「政令」によってなされるが、この指定の「政令」の効果が発揮されるのは2月7日からと定められた。

そのため、2月7日までは新型コロナウィルスは指定感染症ではないため、感染症法の対象とはならないのだ。感染症法の対象外である以上、法律に基づく措置を講ずることは当然できない。これは「法律による行政の原理」と呼ばれる大原則である。


 したがって、チャーター機での帰国者を強制的に全員隔離することなど、そもそも法律的に不可能だったのだ。

むしろ、なんの強制力もないただの「お願い」を素直に受け入れ、政府機関の寮やホテル三日月に軟禁されるという選択をしてくれた帰国者のみなさんを称えるべきであろう。


 もっとも、これで政府をはじめとした行政機関に落ち度がなかったかといえばそれは別問題。手落ちはたくさんあっただろう。批判すべき部分は批判すべきだ。

しかし、不必要に争点を拡大しては真の問題の解決が遅れるおそれがあることにも留意すべきだと私は考える。

  

4.補論 感染症法はなぜ強制力に慎重なのか

最後に一点、気になった方もいると思うので、なぜ感染症がこんなにも強制入院や隔離などの強制力の行使に慎重なのかについて少し書いておこう。


ハンセン病という病気がある。

らい菌によって発症し、末梢神経と皮膚組織を侵し、外貌を著しく害する。感染性はあるがその感染性は極めて弱く、通常の生活を送る程度で感染することはまずなく、また完治する病気である。

 
その歴史はきわめて古く、日本では日本書紀にも記載がある。戦国時代の大谷吉継はらい病患者だったといわれている。

近代以降に目を移すと、らい予防法、優生保護法により、らい病患者の隔離施設への強制収容、さらには断種、強制不妊手術、強制的な人工妊娠中絶までもが国の施策として行われてきた。

らい予防法が廃止されたのは1996年のこと。たった24年前のことである。

その後、らい予防法と優生保護法違憲であったとして、国家賠償請求訴訟が提起され、国が敗訴し基金の設立や賠償金の支払いを行なっているが、患者らが被った被害や差別や偏見は、お金だけで解決できるものでは決してない。

 

ハンセン病はその外貌への影響から、極めて低い伝染性に目を瞑られ、感染症であることを理由として隔離政策が行われた。

今の感染症法はこの反省の上に成り立っている。その精神は、感染症法の前文によく表れている。全文引用しよう。少々長いが、いい意味で法律らしくない、とても熱い文章なので是非とも読んでほしい。

 
“人類は、これまで、疾病、とりわけ感染症により、多大の苦難を経験してきた。ペスト、痘そう、コレラ等の感染症の流行は、時には文明を存亡の危機に追いやり、感染症を根絶することは、正に人類の悲願と言えるものである。

医学医療の進歩や衛生水準の著しい向上により、多くの感染症が克服されてきたが、新たな感染症の出現や既知の感染症の再興により、また、国際交流の進展等に伴い、感染症は、新たな形で、今なお人類に脅威を与えている。

 

一方、我が国においては、過去にハンセン病後天性免疫不全症候群等の感染症の患者等に対するいわれのない差別や偏見が存在したという事実を重く受け止め、これを教訓として今後に生かすことが必要である。

 

このような感染症をめぐる状況の変化や感染症の患者等が置かれてきた状況を踏まえ、感染症の患者等の人権を尊重しつつ、これらの者に対する良質かつ適切な医療の提供を確保し、感染症に迅速かつ適確に対応することが求められている。

ここに、このような視点に立って、これまでの感染症の予防に関する施策を抜本的に見直し、感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する総合的な施策の推進を図るため、この法律を制定する。“


まず、感染症法は比喩抜きに人類の脅威である感染症を、人類として克服するのだという強い意志を示している。

その一方で、病を恐れるあまり、非科学的、無根拠、非合理的に、国家が差別を主導し肯定していたという厳然たる事実を重く受け止め、感染症の防止という極めて大きな目的の前であっても、基本的人権を尊重しなければならないことを宣言しているのである。

 

私たちはいつだって自分は当事者にはならないと思い込んでいる。

武漢からの帰国者も、クルーズ船の乗客も、タクシーの運転手も、あなただったかもしれない。

心ない言葉を投げつけられ、いわれのない偏見を押し付けられたのは、あなただったかもしれない。


私たちは、常に冷静であらねばならないと思う。

 


以上